Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

言葉と情緒

言葉と情緒

 f:id:DaikiKaneda:20190308110349j:plain

 私が今回、書きたいことは、すべての言葉の意味は我々がそれらに、ありありと、しみじみと、情緒を得ることができなければ、まったくナンセンスであり、役立たないということだ。(ここでいう言葉とは、文字通り、「何か」を表現するためのものであり、情緒とは「何か」に触れたときにおこる様々な感情や印象とする。)その理由は、まず、我々が言葉を使う目的がコミュニケーションであること、そして、それゆえに、言葉におけるすべての意味は共通的でなければならないということ、さらに、それゆえに、我々が言葉で表現する「何か」が我々が共通的に、情緒や印象を受けることができるものであることに帰因する。つまり、我々が用いるすべての言葉の中で、言葉から始まったものなどなく、あらゆる言葉は、我々の共通の心的印象を共有するために、生まれたと私は考える。だからこそ、我々はしばしば、様々な経験をしてきた後に、再び、以前に読んだ本を読んだりすると、同じ文章に対して、深い理解が得られたり、新しい発見が得られたりするのであると信じる。そのような例は、枚挙いとまがないと、私には思われるのだが、ほかに例を挙げると、われわれが数学を学ぶとき、理屈をこねまわしたような文章を理解するのに、図やグラフ、列などを用いて、その文章を頭にありありと浮かぶようにしてしまえば、その複雑に見えた文章が容易に理解できるものであることがわかることなどである。また、日本で最も偉大な数学者の一人である岡潔さんの言葉で「数学印象でやるもので記憶はかえって邪魔になる。 忘れるものはドンドン忘れて行く。 これが極意です。」というものがあったり、また、同人が数学を学ぶ前に、松尾芭蕉などの本を読み、情緒を鍛えることが大切であるといっていることも同じ理屈であると思う。

 このように、我々が社会生活の中で、言葉を使うとき、すなわち、話すとき、書くとき、読むとき、聴くとき、考えるときなどは、その使う言葉一つ一つについて、情緒を得、しみじみと感じることが肝要であると思う。

 

 また、上記の内容を応用し、我々の「読む力」、「話す力」、「書く力」、「聞く力」、「考える力」すなわち、有益な社会活動および学術的な社会的貢献に欠かせない能力を鍛えるためのより有用な方法を考えたい。

 

 我々にとって、たとえ、学者でなくとも、文章を読んだり、話を聞いたりして、内容を理解したり、文章や発声を用いて、表現することが必要な、社会的な場面はいくらでもあるものだ。それゆえに、その能力をより鋭敏、かつ柔軟なものにしていくことは大切である。よって、言葉と情緒の関係を参考にして、読む力、書く力を鍛えるために大切なこと、および、その具体的な方法を描きたい。

読む力を鍛えるために大切なこと

  1. 読む言葉、文章の中で、ありありと、しみじみと「こういうことを言っているんだろうな」と印象を受けることができるまで、その言葉、文章から離れないこと。⇔空虚な言葉を頭で理解した気になる危険性をなくす。

書く力を鍛えるために大切なこと

  1. 自分が書いている言葉ないし、包括的な文章が表現している何かを、ありありとイメージできるときのみ、筆を進めること。⇔空虚な言葉を頭で並べる危険性をなくす。

話す力を鍛えるために大切なこと

  1. 自分が明確に、しみじみとイメージできる内容のみを話すこと、すなわち、その内容の印象を感じながら話すこと。⇔空虚な言葉をひたすらいう危険性をなくす。

聴く力を鍛えるために大切なこと

  1. 自分が相手が話している内容を、ありありと、しみじみと、イメージしながら聞くこと⇔空虚な言葉を理解した気になる危険性をなくす。

具体的な方法の例

  • 興味のある本を、ありありとイメージできない文章や言葉にぶつかるまでに読み進める。ぶつかったら、言葉の意味を辞書で調べたり(実際に見に行くのもいいかもしれない)、読み返してみたりし、鮮明にイメージできるまで、考える。
  • 本を切りのいいページ読み終われば、その本について、イメージできる言葉、文章のみを用いて、感想なり、考えたことなどを書く。
  • その書いた内容について、内容が示している何かをイメージしながら、暗唱し、話す感覚をつかめたら、他者にその内容を話しかける。
  • 他者がその内容について、どう考えるかを、ありありとイメージしながら聞き、イメージが難しい単語や文章にぶつかれば、相手に質問するなり、辞書を用いて、イメージできるまで考える。

「考える力(論理的思考力)」を鍛えるために大切なこと

  • 上記の読む、書く、聴く、話すにおいて、「AだからB」、「BだからC」「DじゃないからE」「FであるためにはH」のように論理的な筋道、つまり、ある内容とほかの内容の関係をありありと、しみじみとイメージすること。

 読んでくれて、ありがとう。