Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

継続しやすい教科書の読み方(たとえば、数学)

継続しやすい教科書の読み方(たとえば、数学)

 

 おそらく、理解と表現が両立するべきであるという社会的要請がそのように感じさせるのであろうが、食べ物を食べてばかりいて運動することがなければ、次第に何にも味わいを感じられなくなるように、私たちが学問を学ぶために教科書を読むときも、ただその内容を論理的に、正確に理解するだけでは、次第にその学問の面白み、味わいを感じられなくなっていき、ひいては教科書を読むことを継続することができず、その全体的な内容を理解することが難しくなるだろう。

 

 このような問題を解決するためのアイデアを出すために、食事と運動に関する常識的な考察が役に立つのではないかと思う。つまり、当たり前なことであるが、食べ過ぎれば、運動することも難しく、運動ばかりして食べなすぎれば、運動を継続することが難しくなるだろう。これを少し抽象化して、教科書の読み方という一つの実地に応用すれば、直ちに「教科書を読むこととその内容に関する表現をすることのちょうどよいバランスを見出すこと」が課題となることがわかる。

 

 このバランスのとり方が問題であるが、私は意識して表現に傾こうとすることが大切であると思う。それは、食事のほうが運動よりも安易なように、理解よりも表現のほうが精神的努力を要することが常であると思うからだ。

 

 例えば、数学の教科書を読むとすれば、小平邦彦先生が「怠け数学者の記」で「定理をよく理解するためには、証明を一度読んだだけでは不十分であって、何度も読み、ノートに写し、さらに種々の問題に応用してみることが有効である」と述べているように、教科書の内容を理解したら、そこですぐ次のページに行こうと焦ることなく、その内容について試行錯誤、表現することが大切である。

 

 このように、一見、非効率に見える方法、つまり、教科書を少し読んだら「立ち止まって」、その内容についていろいろと考えてみるということは「食べ過ぎ」になることなく、長期的に教科書を理解するために非常に有効であるように思われる。これの実現のためには様々な方法がありそうだが、私の1つのアイデアは少なくとも教科書の演習問題が全て解けるまでは先に進まないということである。

 

読んでくださり、ありがとう。