Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

「無知力」を衰えさせていこう

 学者にとっての無知力

 

 私は、私たちが何かを学び、習得し、創造することを志すならば、「無知力」を衰えさせていくことが大切であると思う。「無知力」とは何か。ここで言う「無知力」とは、「知らない事柄に直面した時に、知らないままでいられる能力」のことである。この無知力と言うものは一見、役立たないように見えるが、そうでもない。なぜなら、日常の生活で直面する未知の事柄の本質を全て理解しようと努力しようとしてしまえば、明らかに日常の必要な仕事を果たすことに支障をきたすからだ。それ故に、私達は個人差はあれど、日々、この「無知力」を鍛え続けている。名前の知らない鳥や花を見かけても平気でいられるし、意味のわからない英単語や諺を見ても他のことに集中できる。

 しかし、偉大な業績を遺した学者、研究者と呼ばれる人種にとっては事情が違うようである。彼らの努力を見ると、彼らは明らかに、彼らの研究対象、学問に対する「無知力」に関して大きな欠陥を持っている。つまり、彼らは研究などにおいて彼らが理解出来ない、知らない対象に直面した時に、それを放置する事が出来ないのである。この性質ゆえに、しばしば、多くの学者は常識的な課題を果たすことは出来ないが、それは彼らの知的な探求の結果として生まれる社会貢献によって補償される。

 このように考えると、私達が何かを学び、習得し、大きな創造をしていきたいならば、その学問に対して私達が日々鍛えている「無知力」の緊張を解かなければならない。何故なら、「無知力」が強ければ強いほど、有益な探求力は生まれにくくなるからである。もちろん、「無知力」を衰えさせすぎると、常識的でなくなるのは明白なので、一長一短があることは忘れないほうがいいと思う。

 

読んでくれて、ありがとう。