Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

研究者になれる自信がなくとも、自主的な勉強を継続する方法

 積極的に学ぶ姿勢がある大学生、大学院生などに限った話かもしれないが、自分自身の将来を見据えて、研究者になるために本当に学問に打ち込むことだけに集中して良いのか、それとも、研究者になることが難しかった時に備えて、他の仕事を得る訓練をするべきなのかを迷う人たちはいるかもしれない。

 自分もその一人だった。数学科の学生として数学に真面目に向き合っているつもりではあるが、研究者になるための困難を考えると二の足を踏みそうになっていたとともに、ためらいがあっては到底達成できない目標であるが故に、「数学に渾身するか」、「数学の勉強を(大学卒業のために)最低限やるか」で揺れてしまっていた。

 つまり、数学を「数学者になるための準備」と捉えるのか「大学卒業のための雑務」と捉えるのかで揺れてしまっていた。

 そして、そのどちらも数学に対する「素晴らしい解釈」であるとは言えなかった。なぜなら、前者は数学者になれなかった場合の不安に立ち向かわねばならないし、後者は皮肉だが数学の勉強を積極的に学ぶ姿勢を失わせるので、大学卒業も危ぶまれるからだ。

 では、都合よく、「数学者以外の職業を選ぶ余裕が生まれ」、「主体的に数学を勉強する姿勢も取り戻せる」ような数学への「解釈」は存在するのか?

 結論を言えば、存在した。それは数学を「趣味」にすることである。

 趣味とは「専門ではないが、楽しみにすること」なので、数学者になれなかった時に方向転換を考えることができるし、楽しみにすることなので、主体性も失わずに済むからだ。

 

 これは他の学問についても同様ではないだろうか。つまり、どんな学問であれ、真剣に打ち込む学生が「研究者になれる確信」を持っているかと言えば、むしろ、そのような自信を持っている人は少ないだろうし、しかし、そこでその学問への情熱を失いすぎるのも良くないという時に、その学問を自らの「趣味」にすることは非常に現実的かつ建設的な方向であると思う。運よく趣味が仕事になる人もいれば、趣味を楽しみに他の仕事をしている人もいるのだから。

 このような一種のジレンマに陥れば時間を無駄にしてしまう。研究者になれる自信がないのは当たり前で、勉強への情熱も失いたくないならば、「趣味」にしてしまうのが一つの解決だと思う。