Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

他者の不幸を素通りできることは強さではない

他者の不幸を素通りできることは強さではない

 

 私はしばしば、他者の不幸を見て素通りできることを有益な強さであると理解している人々がいるように感じるが、私たちがよりよい人生を送るためには「本当の有益な強さとは他者の不幸を素通りできないこと」であることを理解することが大切であると思う。

 

 その理由は「有益さ」、「無益さ」という概念が言葉である限り社会的であることから、あらゆる私たちにとっての有益さは他者にとっての有益さであり、あらゆる私たちにとっての無益さは他者にとっての無益さであるので、私たちが「有益な強さ」というものを持とうとするならば、それは常に他者を利するものでなければならず、この点を誤解すると容易に無益な方向に進みやすくなってしまうからだ。

 

 できるだけわかりやすい例を挙げてみたい。

周りの人が自分自身の不幸を気にせずに楽しく振舞っているのを見た二人の人A、Bについて、Aは「ほかの人が私の不幸を素通りするのに、どうして私がほかの人の不幸を気にかけなければいけないのだ。きっと、本当の強さとはほかの人の不幸を見て見ぬ振りできる冷静さの中にあるのだろう。」とBは「周りの人が私の不幸を気にかけることができないのは、彼らにそれをする勇気がないからだ。自分にとって役立つものはいつも他者への貢献の中にあるのだから、私は他者の不幸を素通りしない強さを持とう。」と考えたとすると、A,Bの内のどちらが他者と仲間になり有益な社会生活を送りやすいかを理解することは容易であると思う。

 

 このように、私たちはしばしば、他者の不幸を素通りする人々を見かけるし、彼らが如何に平気そうに、楽しそうに振舞っていたとしても、私たちは有益さというものを根本的に理解して、他者の不幸を素通りできない強さを持つべきである。

 

読んでくれて、ありがとう。