Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

宗教の有益さについて

宗教の有益さについて

 

 私は、私たちの社会生活と多かれ少なかれ関わってくる宗教の有益な側面を最大限利用し、宗教が持つ有益でない側面を限りなく抑制していくためには、特定の宗教が提唱する諸信条、教義、ドグマを信じること自体の重要性を過大評価しないことが非常に重要であると思う。

 

 その理由は、あらゆる概念が他者とのかかわりの中で存在し、私的ではありえず、社会的であるから、私たちにとってのあらゆる有益さは「他者にとっての有益さ」であるがゆえに、あらゆる有益さは他者と貢献し合う関係、すなわち、協同関係の中にしか存在しないので、ある宗教が提唱する諸教義を信仰することによって生まれる信者同士の協同関係は、宗教が生む最高に有益なものであると思うが、ほとんどの場合、宗教における教義、信条などはある特定の神や教祖などが遺したとされる伝統的、慣習的なものにのみ依拠しており、普遍的、論理的でない、すなわち、全ての人が同様に理解し、納得できるようなもの、多種多様な批判に耐えられるものになるほど洗練されていないため、そのような諸教義を信仰することが他者との協同関係を結ぶために不可欠であるほどの重要性を持ってしまえば、容易にその協同関係は破たんし得るからである。

 

 例えば、歴史的に、ある特定の諸信条、教義を信仰することを有益な協同関係を保つために不可欠であると誤解した人々は、彼らの宗教が提唱する諸教義が論理的、普遍的なものでないことから、ほかの宗教や教義、特定の教義に対する批判などが生まれることは当然であることにもかかわらず、他の宗教を信仰する人々を弾圧、虐殺したり、同宗教内における異端分子の排除に暴力を用いていたなどということはよく知られていることである。ヨーロッパでは異端撲滅を目的とした魔女狩り、日本では踏み絵を用いたキリスト教徒の弾圧などおいて、多くの人々が不当に、非常に残酷な方法で嬲り殺された歴史は適例であろう。

 

 このように、私は、宗教がもたらす協同関係の発展に伴う有益な影響を過小評価してはいないが、同様に、私たちは、特定の諸教義、信条を信仰することが協同関係の維持のために不可欠であるという誤解が生む危険、既に数えきれないほどの人々が不当に殺してきた危険も過小評価してはならないと思う。

 

読んでくれて、ありがとう。