Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

油断とあきらめの正体

油断とあきらめの正体

 

 私は、私たちが充実感を持って建設的に生きることを目指すとき、楽天的な盲信である「油断」と悲観的な絶望である「あきらめ」が常に悪であるということは非常にありふれた事実であると思うが、私たちはそれら二つを不意に憑りついてくる悪霊のように考える必要はなく、理性的な理解を通して予防していくことができるように思う。

その予防策は次のように非常に簡潔にまとめられる。

 

 「油断」と「あきらめ」という悪を自身に近づけないための予防策とは、「他者の未来、他者の人生の行く末を決めつけないこと」である。

 

 この予防策が有効である根拠は、他者の未来を決めつける習慣は自身の未来を決めつける習慣に繋がり、本来的には不確実性に満ちている未来に対して、「油断」や「あきらめ」のような偏見を持つことを助けてしまうことである。

 

 具体的な例を考えたい。例えば、私たちが大きな困難に見舞われて、自暴自棄になってしまっているとしよう(これは仮定の話であるから、あなたが自暴自棄になりにくいか、なりやすいかどうかは関係なく、あなたが自暴自棄になる可能性が常にあることを踏まえて考えてもらいたい)。この時、もし私たちが自暴自棄になっている他者を見限って「あいつはもうだめだ。あいつの将来は真っ暗だろうな。」と決めつけてしまう癖があれば、きっと私たちは自身に対しても同様に「私はもうだめだ。私の将来は真っ暗だろうな。」と「あきらめ」てしまうだろうし、逆に、私たちが自暴自棄になっている他者を見て、「あいつは今どうしようもなく見えるが、少し時間がたてば、どうなっているかはわからない。未来を予測することなど不可能なのだから、彼がどのような状態であったとしても、彼の成功の可能性は決して消えない。」と考える癖があれば、きっと私たちに対しても同様に、「今の自分はどうしようもないが、未来を決めつけることはまだ出来ない。私の人生はまだまだこれからだ。」と考えることができるだろう。「油断」に関しても同様である。

 

 このように、私たちが未来への偏見に他ならない「あきらめ」や「油断」から自由になって生きる為には、他者の未来を決めつけないこと、つまり、堕落した状況にある他者の未来を見限ることなく彼らの成功の可能性を見て、うまくいっているように見える他者の未来を安定したものと考えずに彼らの失敗の可能性を見ることが非常に有用である。

 

 

読んでくれて、ありがとう。