あらゆる表現は感謝が伴わなければ意味がない
あらゆる表現は感謝が伴わなければ、意味を持たない。
このような考え方は多くの人に極端であるという印象を与えるだろう。感謝が伴わなかったとしても、有意味な、有益な表現や創造もあるのではないかと。しかし、同時に、様々な表現がその内容に関わらず、表現者の表現する姿勢によって、良くも悪くも大きな影響を受けるということもまた確かではないだろうか。
例えば、他者にアドバイスをする時に高圧的な、権威的なものは、そのアドバイスがどれだけ適切なものであったとしても意味をなさないだろう。
また、他者へのプレゼントや家事などの貢献もそれが恩着せがましいものであれば、他者への影響を考えれば、意味をなさないだろう。
逆に、「拙い助言かもしれないが、聞いてくれると有り難い」という姿勢で他者にアドバイスするならば、他者はそれを参考にし、より良い選択をするための材料に出来るだろう。
同様に、「気に入ってもらえるかはわからないけど、受け取ってもらえるとありがたい。」という姿勢でプレゼントを渡したり、「息抜きに家事をさせてくれて、ありがとう」という姿勢で家事をしたりすれば、他者への影響はより良いものになるだろう。
これはきっと、あらゆる概念が社会的であることから、有益さという概念も社会的であること、つまり、他者にとっての有益さこそが真の有益さであることから、真の他者への貢献は他者が望むことをしたり、期待を満たすことではなく「他者が社会へ貢献することを励ますこと」、つまりは「他者に感謝すること」だからだろう。
この様な意味で極端かもしれないが、真の他者貢献が感謝であることから、あらゆる表現に感謝が伴わなければ意味がないと思うのである。
読んでくれてありがとう。