Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

過去の苦しい努力は今や未来の「楽」のためにあるわけではない。

 私は、私たちが目標を達成するために実りある努力を継続するためには、過去の苦しい努力は今や未来の「楽」のためにあるわけではないと考えることが大切であると思う。

 

 その理由は、私たちはどれだけ努力しようと不完全な存在であり、それ故に、よりよいものを創造するために、どれだけ過去に頑張ったとしても努力し続ける必要があるが、上のように「過去の努力や今の努力が未来や今の「楽」のためにある」と考えてしまえば、今や未来の怠慢を許してしまうからだ。

 

 例えば、偏差値の高い大学に入りさえすれば、後で楽になると思い込んでいる学生は入学後に努力を継続できず何も成し遂げられなくなってしまうこともあるだろうし、他方で、人間が不完全な存在である限り、自分自身を成長させ、社会的に良いものを創造する努力に終わりはないと考える人々はたとえ他者に注目されることはなくとも、結果的に実りある人生になるだろう。

 

 これはすなわち、当たり前なことかもしれないが、私たちが努力を継続したいならば、その努力を一生継続する覚悟を持つ必要がある。どこかに終わりがあると考えるからこそ、自分自身の怠慢を許してしまうのである。

 

このように、私たちの過去や今の頑張りや努力は、努力を終わらせるためのものではなく、一生続ける必要がある努力のほんの一部分に過ぎないと考えることが役に立つ。

 

読んでくださり、ありがとう。