Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

感謝することは有益なのか?

感謝することは有益なのか?

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我々が社会的に、精神的に健康に生きる為に「他者に感謝すること」は有益なのであろうか?私は多くの人がこの疑問に対して、Yesと答えることを予測するが、その目的や本質を明確に説明できる人は多くないと思う。自分は、アルフレッド・アドラーの個人心理学における優れた見識などを参考にして、なぜ他者に感謝することが有益であるかを考察してみた。

 まず、我々は精神的に健康に生きるために「現実を科学的に(共通概念に基づいて)理解すること」が大切なことであることがわかると思う。例えば、私の飼っているウサギは私の電子辞書に含まれている大型の鳥の鳴き声を流すと、実際には鳥はいないが、目を真ん丸にして警戒しているときにするといわれているスタンピング(足で地面をたたくこと)を繰り返すようになる、すなわち、余計ともいえる不安、警戒を安全のために生み出していると考えられる。そのような性質は、例えば、幽霊を怖がる人間とそうでない人間がいるように、我々にも多く共通すると思われる。

 ここで、私は「他者に感謝すること」が上記の例のような現実を誤って認識することによって生み出される不安や警戒をなくすことに大いに役立つと思われる。その中の最も効果的だと思われるものは、我々がしばしば誤認する「他者は自分の期待通りに生きるべきだ」という誤った確信を取り除くことだと私は思う。つまり、我々は経験的に、言葉で頼まない場合はもちろん、言葉で頼もうとも、しばしば、他者は我々の期待通りに行動しないということが普遍的なものであると理解しているだろうが、我々は(少なくとも私は)、たびたび、それを忘れ、他者が自分の期待通りに動かないことに対して、先の例に挙げたような「余計な警戒や不安」を抱くことがあると私は思うとともに、「他者に感謝すること」が意識的に、または暗黙にその間違った確信を否定するものと信じる。何故なら、感謝するということは、他者のあるがままの状態にある、既に存在する有益な側面を理解することだからである。例えば、他者が思い通りになると感じ、それが普遍的なことだと確信できるほどに甘やかされた子供は決して、他者に感謝しないだろう。よって、我々の大きな対人関係の中の不安をなくす最良の方法の1つは「他者に感謝すること」だといえるだろう。

 

また、「有難う」と感謝の言葉を言うことは、我々の体のがんと闘うNK細胞なるものを増殖させる、すなわち、身体的な健康にもつながるということが科学的に認められているそうだから、私の上記の1つの考えに賛同しない方も、ぜひ、感謝することを積極的に実践してみてほしい。

 

読んでくれて、ありがとう。