Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

満足しているときにこそ、注意深くなろう。

満足をしているときこそ、注意深くなろう

 

 私は、私たちが有益な発展を不断のものにし、役立つことを成し遂げていくために、私たちが満足していると自覚しているときにこそ、注意深く、「このままでいいのだろうか」と考えることが大切であると思う。

 

 その理由は、人間という生き物が常に、究極的に満足、達成感を得る方向に生きているということから、私たちが何かしらの達成感、満足感を感じることは、皮肉なことに私たちの建設的な努力、何かを達成し、征服しようとする努力を停滞させてしまうからだ。

 

 例えば、有名な古典が書店にあり、その本を見かけた人、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんがいるとき、以下のような物語は上記の満足感がもたらす停滞がどのようなものであるかを示すいい例であろう。「Aさんは本を手に取り、立ち読みすることに満足を感じて、本を置き、書店を出てしまった。次に、Bさんは本を手に取り、立ち読みすることだけでは満足することができなかったので、購入はしたが、購入することに満足を感じてしまい、その本を読むことはなかった。次に、Cさんは立ち読み、購入するだけでは満足を感じられなかったので、本をすべて読んだが、読むことに満足し、本を置いてしまった。次に、Dさんは立ち読み、購入し、一字余さずに本を読むことだけでは満足できなかったので、その本に書かれている内容を鵜呑みにせず、批判的に精査したが、精査することだけで満足してしまった。次に、Eさんは、立ち読み、購入し、精読し、その本の内容を批判的に精査することだけでは満足することができなかったので、その本の内容に対する自身の批判、所見を書き下ろし、自身の本を出版し、そこで満足感を得た。」

 そのような意味で最も怠惰な人間は最も不満足感を持ち続けられない人間と言えるだろう。

 

 このように、私たちが建設的に、発展的に役立つことを成し遂げていくために、満足感が私たちを停滞させるということを理解し、それを私たちの行動、感情に反映させていくことが大切であると思う。言い換えれば、役に立つ不満足感をすぐに無くそうとするべきでないということである。

 

読んでくれて、ありがとう。