Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

外面的な幸福から脱却することの大切さ

外面的な幸福にとらわれないことの大切さ

 

  私は、私たちが幸福に生きる為には、「私たちの表面的な状況が、私たちの幸福を定めるわけではない」ということを理解することが非常に大切であると思う。

 

 その理由は、私たちの幸福は、私たちの状況によって、絶対的に定まるものではなく、「自身の状況に対する私たちの解釈」によって定まるからだ。これは非常に強調したいことである。なぜならば、そのように考えない人たちがいるからである。彼らにとっては、外面的な状況の好例である学歴や年収、容姿、資産などがそれらを持つ個人の幸福度を、個人の解釈に関わらず、一意的に定めているというのだ。しかし、私たちはこのような偏見に対して、今、多くの反証を挙げられることを知っている。

 

 例えば、豪勢な暮らしをする大金持ちの人々、容姿端麗な人々、ビジネスやスポーツ、芸術などで成功して注目を浴びている人々を見て、羨望を抱き、「俺は不幸だ。こんな人々のようになれたら幸せだな。」と考える個人Aを仮定するとき、Aはそのような金持ちやアスリートが絶対的な幸福を持っていて、自分自身の状況が不幸なものであると考えているのであろうが、それと同時に、私たちは、Aの状況を絶対的な幸福と考える個人Bの存在を否定することができないのである。つまり、私たちはA,Bが考える「幸福」が状況によって絶対的に定まるものではないと理解できるのである。より具体的に例を挙げれば、大金持ちの人々を見て、自分自身の状況が絶対的に惨めである、不幸であると考えてしまう先進国の人々の状況が、深刻な度合いで貧困に苦しめられている人々にとっては幸福と呼べる状況であったりするのである。

 

 このように、私たちがどのような状況にいようと、その状況が、私たちに絶対的な幸福を与えてくれることはなく、私たちの幸福はその状況に対する解釈によって定まるのであるから、他者の外面的な状況、例えば、資産、学歴、家庭環境、容姿などを見て、嫉妬、あるいは羨望し、自分自身もその状況に置こうとすることに価値はない。また、理性的ではない考えを持つ人々の常であるが、外面的な状況が絶対的な幸福を与えてくれると盲信している個人はそれを様々な方法で強調するが、私たちがそれを受け入れ、自分自身が自分自身の状況によって不幸であると考える意味は全くない。

 

読んでくれて、ありがとう。