Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

アドラー心理学からの幼児教育のためのQ&A

       

      アドラー心理学の幼児教育のためのQ&A

 

{社会的に重要な子育てや教育などにおいて役立たせることができるアドラー心理学の考え方は少しずつ普及しつつあると思いますが、まだまだ十分ではないように感じます。この「アドラー心理学からの幼児教育のためのQAが多くの子育てや教育に悩む人々の一助となることができれば、本望です。また、誤字、誤訳などはすべて私の不行き届きによるものです。補足として、Q&A の答えの解説には「アドラー心理学のQ&A」という趣旨から外れずにアドラーの思想に触れることが容易になるように、多くの引用を用いていますが、参考文献は、アルフレッド、アドラーの「What Life Could Mean to You」,「The Pattern of Life」,「Science of Living」,「The Neurotic Constitution」です。Q&Aは順次追加します。}    

 

Question1.幼少期の赤ん坊と親との関係は子供の一生を決めてしまいますか?   

Answer1.いいえ。子供の行動、一生を決定するものは子供と親との関係ではなく、 「子供が親との関係にどのように向き合うか」、「子供が親との関係からどのような結論を引き出すか」です。ただし、その過程で親が子供に与える影響は非常に大きいので、親は子供がいい結論を引き出すことができるように、子供を励ます必要があります。

 

解説

アドラーの著書の1つである「WHAT LIFE COULD MEAN TO YOU」の「FAMILY INFULUENCES(家族の影響)」では、アドラーは次のように述べています。

  • 長期にわたって、母親は赤ん坊の人生の中で圧倒的に最も重要な役割を持つとともに、赤ん坊は殆ど完全に母親に依存します。(For many months his mother plays overwhelmingly the most important role in his life: he is almost completely dependent upon her.)」
  • 母親は赤ん坊にとっての社会生活への最初の架け橋であり、母親や母親の代わりとなる人と全く結びつくことができなかった赤ん坊は破滅を免れないでしょう。(She is his first bridge to social life; and a baby who could make no connection at all with his mother, or with some other human being who took her place, would inevitably perish.)」
  • 私たちが人生の一時期においての失敗者のケースをさかのぼれば、ほとんどの場合、私たちは彼らの母親が彼女らの役割を適切に果たしていなかったことを発見します。(If we trace back the cases of failure in life, we almost always discover that the mother did not fulfill her functions properly.)」

 

ここで、私たちはアドラーが幼児期の母親の役割を非常に重視していることがわかります。また、アドラーは母親の重要性を認める一方で、子供の人生における失敗の責任を母親に転嫁するべきではないと考えます。

 

  • しかし、私たちは、母親に(子供の)失敗の罪があるとみなすことは出来ません。どこにも非難するべき点はないのです。ひょっとしたら、母親自身が協同のための訓練をしてこなかったのかもしれません。ひょっとしたら、彼女は結婚生活において、抑圧され、幸福でなかったのかもしれません。彼女は自身の状況に困惑して、時には絶望していたのかもしれません。家族のよい生活の発展を妨げる精神的な不安は多いのです。(We cannot regard the mother, however, as guilty for failures. These is no guilt. Perhaps the mother herself was not trained for cooperation. Perhaps she is suppressed and unhappy in her married life. She is confused and worried by her circumstances; and sometimes she grows hopeless and despairing. There are many disturbances to the development of a good family life.)」
  • 「‘さらに、子供の行動を決定するものは、子供の経験ではなく、子供が経験から引き出した結論です。私たちが問題児の話を尋ねれば、私たちは問題児と彼の母親との関係の中に困難があることがわかりますが、私たちは同じ様な困難を、よりよい方法で困難を解決してきたほかの子供たちの中にも見出すことができるのです。(Moreover, it is not the child’s experiences which dictate his actions; it is the conclusions which he draws from his experiences. When we inquire into the story of a problem child, we see difficulties in the relation between himself and his mother; but we can see same difficulties among other children who have answered them in a better way.)」

 

上記のように、アドラー子供と親との関係が子供の行動、一生を決定してしまうことをはっきりと否定しています。つまり、子供と親との関係は非常に大切ではありますが、結局は「子供が親との関係に対して、どう向き合うか」が決定的に重要なものであるということです。

 このことをよく理解するために次のような物語が役に立つのではないでしょうか。

 

「ある子供A君、B君がいました。A君、B君はいつも、些細なことで親からひどい虐待を受けていました。ある日、A君、B君は自分自身の状況がふつうではないこと、また、自分自身が不利な状況にいることをほかの子供たちを見て直感的に理解しました。そして、A君は「僕はこんなつらい状況にいるのだから、何をしたって許されないとおかしい。」と、B君は「僕はこんなつらい状況にいるのだから、せめて周りのみんなが安心できるように努力しよう。」と同じような経験から真逆の結論を引き出しました。

さて、十年後に二人はどのようになっているでしょう。

A君は「虐待を受けたから」犯罪者になってしまい、B君は「虐待を受けたから」慈善家になっていました。」

 

     

Question2.子供の器官的、遺伝的な欠陥は子供の人生に悪い影響を与えてしまいますか    

Answer2.いいえ。器官的な、遺伝的な欠陥を持つ子供たちは、確かに、より大きな負担を背負っており、自己中心的になりやすいという点で不利な状況にいますが、彼らが周りの人によって励まされるなどして、自分自身の困難以上に他者に関心を持ち、全体に貢献することを望むことができれば、視力の悪い人が素晴らしい画家になることがあるように、彼らは彼らの欠陥を多大な努力によって補償し、常人以上に卓越した、有益な能力を発達させることができます。言い換えれば、器官的欠陥による子供への影響は、子供の精神次第で良くも悪くもなるということです。

 

 

解説

アドラーは「WHAT LIFE COULD MEAN TO YOU」の「THE MEANING OF LIFE(人生の意味)」という章で次のように述べています。

しかし、子供たちによって深刻に誤った意味が幼少期に頻繁に引き出されてしまう一定の状況があります。失敗の大部分が生じるのはこれらの状況における子供たちからです。まず、私たちは幼少期に病気や虚弱体質によって苦しむ、欠陥のある器官をもつ子供たちを考えなければなりません。そのような子供たちには過度な負担がかかっており、彼らにとって、人生の意味が他者への貢献であると感じることは難しいことでしょう。もし彼らの近くに、彼らの彼ら自身への注目を弱くし、他者への関心を引き出すことができる個人がいなければ、おそらく彼らは主に、彼ら自身の感覚で頭がいっぱいになってしまうことでしょう。後で、彼らは彼らの周りの人々と彼ら自身を比較することによって、勇気をなくしてしまうかもしれないし、現在の文明社会において、彼らの劣等感が哀れみや仲間からの嘲笑、忌避によって強調されてしまうことでさえ起るかもしれません。(There are, however, certain situations in childhood from which a gravely mistaken meaning is very frequently drawn. It is from children in these situation that the majority of failures come. First we must take children with imperfect organs, suffering from diseases or infirmities during their infancy. Such children are overburdened, and it will be difficult for them to feel that the meaning of life is contribution. Unless there is someone near them who can draw their attention away from themselves and interest them in others, they are likely to occupy themselves mainly with their own sensations. Later on, they may become discouraged by comparing themselves with those around them, and it may even happen, in our present civilization, that their feelings of inferiority are stressed by pity, ridicule or avoidance of their fellows.)」

 

ここで、アドラーは器官的欠陥が子供にとって不利である傾向があることを述べていますが、次のように、器官的欠陥が子供の人生を決定的に悪いものにしてしまうことをはっきりと否定しています。

 

誤った人生のスタイルを強制してしまうような器官的な欠陥はありません。私たちは、彼らの腺{上皮から分化し、特有の物質を分泌する器官}が彼らに同じ影響を与えるような、二人の子供を見つけることは決してありません。私たちは、しばしば、これらの障害を乗り越えた子供たち、障害を乗り越える過程で、抜きんでた有益な能力を発展させる子供たちを発見することができます。このようにして、個人心理学{アドラー心理学}は、優生学的な淘汰{人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、悪質の遺伝形質を淘汰すること}のような考えにとって、あまりいい例とは言えません。私たちの文化に多大に貢献をした、最も卓越した人々の多くは欠陥のある器官を持って生まれてきており、しばしば、彼らの健康は乏しく、時に若くして亡くなりました。主として、進歩、新しい貢献は自分自身の障害に対して、激しく努力した人々によって為されてきています。その努力は彼らを強靭にし、彼らはさらに遠くまで前進しました。私たちは、肉体の状況から、精神がよいものになるか、悪いものになるかどうかを判断することは出来ないのです。(No imperfection of organs compel a mistaken style of life. We never find two children whose glands have the same effects on them. We can often see children who overcome these difficulties and who, in overcoming them, develop unusual faculties for usefulness. In this way Individual Psychology is not a very good advertisement for schemes of eugenic selection. Many of the most eminent men, men who made great contributions to our culture, began with imperfect organs; often their health was poor and sometimes they died early. It is mainly from those people who struggled hard against difficulties, that advances and new contributions have come. The struggle strengthened them and they went further ahead. From the body we cannot judge whether the development of the mind will be bad or good.)

つまり、アドラーは子供の器官的な欠陥は悲劇的なものではなく、子供がその欠陥を克服するために精一杯努力すれば、その欠陥が非常に役立つものになりうるということを強調しています。ではどのように子供を励ませば、子供たちにとって、器官的な欠陥が重荷ではなく、努力のための起爆剤になり得るのでしょうか?アドラーは次のように述べています。

全体に貢献することを望み、彼の関心が彼自身に集中していない子供だけがうまく彼の欠陥を補償することができます。もし、子供たちが彼ら自身から困難を取り除くことだけを望んでしまったら、彼らはしり込みし続けるでしょう。彼らは、彼らの考えにおいて、努力をする目的を持っているときのみ、その目的の達成が訓練の途中で立ちはだかる障害よりも彼らにとって重要であるときのみ、勇気を持ち続けることができます。(Only a child who desires to contribute to the whole, whose interest is not centered in himself, can train successfully to compensate for defects, If children desire only to rid themselves of difficulties, they will continue backward. They can keep up their courage only if they have a purpose in view for their efforts and if the achievement of this purpose is more important to them than the obstacles which stand in the way.)」

 つまり、子供たちが障害を克服する勇気を持つことができるように励ましたいならば、子供たちが他者へ貢献する自信が持てるように励ます必要があるということです。具体的には、子供の他者貢献以外の事柄に注目して、子供をほめたり、叱ったりするのではなく、子供の他者への貢献に焦点を当てること、すなわち、感謝を伝えることが必要であるということです。また、子供に感謝を伝えることは、「親である自分自身が子供に助けられている」ということを理解して受け入れることでもありますから、子供を賞罰によって教育しようとすることよりも一定の勇気が必要でしょうが、感謝による励ましと賞罰による励ましによる勇気の発達の大きさは雲泥の差であり、むしろ、賞罰教育は子供を有益でない方向に励ましてしまう恐れがある点において「長期的に」百害あって一利なしと言えるでしょう。「長期的に」ということを強調する理由は、確かに、賞罰教育は短期的には一定の効果があるように見えるからです。例えば、いたずらをする子供を怒鳴りつける、あるいは、やめたことを褒めちぎれば、子供にいたずらがよくない理由を説明して、いたずらをやめてくれたこと、あるいは、やめてくれなかったとしても話を聞いてくれたことに感謝をするよりも「短期的に」子供はいたずらをやめるでしょう。しかし、長期的には、感謝された子供がいたずらがよくない理由を理解し、いたずらをしないことに喜びを感じられる一方で、怒鳴りつけられた子供は叱る人が、褒められた子供は褒める人がいなければ、いたずらをやり続けてしまうでしょう。これはいたずらに限らず、勉強をしないこと、朝早くに起きられないことなど、様々なことに当てはめて考えることができます。つまり、怠慢な子供にいくら「勉強をしろ」、「早起きをしろ」と叱ったり、珍しく勉強や早起きをしている子供を褒めちぎったりしても、決して子供の怠慢な態度は変えられないのです。

     

Question3.二人目の子供が生まれたのですが、第一子、第二子にどの様に接すればいいでしょうか?    

Answer3.まずは、親が第一子の立場を考えて、第二子の誕生が第一子の重要性を押し下げてしまうものではないということ、言い換えれば、第二子が「注目を奪う敵」ではなく、新しい仲間であることを第一子に理解してもらう必要があります。そのための方法として、第二子の世話について、第一子の協力を得ることは最高の方法の1つです。

 

解説

アドラーは「THE SCIENCE OF LIVING」という本で、次のように述べています。

第一子は、最初は一人っ子であり、注目の中心にいます。第二子が生まれるや否や、彼は彼自身が追い払われたように感じ、彼はその状況の変化を好みません。実際に、彼が権力を持っていたことがあり、それがもはや無いということは彼の人生において、とても悲劇的な事です。この悲劇の意味は彼の根本的なタイプの形成を説明し、彼の成熟した個性の中において、顕わになるでしょう。実際に、ケースヒストリー{個別事例史}は、そのような子供たちが常に転落、失脚について悩んでしまうことを明らかにします。(The first child is at first alone and is center of attention. Once the second child is born, he finds himself dethroned and he does not like the change of situation. In fact it is quite a tragedy in his life that he has been in power and is so no longer. This sense of tragedy goes into the formation of his prototype and will crop out in his adult characteristics. As a matter of fact case histories show that such children always suffer downfall.)」

 ここで、私たちは第一子に共感することによって、アドラーが言うように、第一子にとって、第二子の誕生が両親の喜びとは裏腹に、好ましいものではない傾向があることが容易に理解できるでしょう。 では、私たちが第二子を授かれば、当然、生まれたての赤ん坊である第二子に注意を払わなければいけませんが、それを第一子にいい影響を与える形で行うにはどのような手段を採用するべきでしょうか。アドラーは、「WHAT LIFE COULD MEAN TO YOU」の「THE MEANING OF LIFE(人生の意味)」という章で次のように述べています。

新しい子供が生まれるとき、その赤ん坊を世話する中で年上の子供たちの協力を得ること、彼らが新しく来たばかりの赤ん坊に興味を持てるようにし、赤ん坊の幸福に対する責任を共有することを年上の子供たちに許すことは常に最もよいことです。もし年上の子供たちの協力が得られれば、彼らは赤ん坊に与えられる注目が彼ら自身の重要さを減らすものであると感じることはないでしょう。(It is always best when a new child is born to gain the cooperation of the older children in taking care of it; to interest them in the newcomer and allow them to share the responsibility for its welfare. If their cooperation is gained they will not be tempted to feel the attention given to the baby as a diminution of their own importance.)」

 これは、第一子が第二子を「注目を奪う敵」ではなく、「新しい仲間」であると解釈できるように励ますことができれば、第一子に困難が生じないことを説明しています。