Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

今の状況への感謝こそがあらゆる有益さのかなめ

今の状況への感謝こそがあらゆる有益さのかなめ

 

 私がこれから書きたいことは、もしかすれば多くの人々にとっては当たり前なことかもしれないが、私が日常生活で当たり前のように実践出来ていない事柄の一つである。

 ここで、その事柄を文章として出来る限り分かり易く表現する努力はきっと私の理解における確信を強め、延いては日常における私の実践力に結びつくであろう。

 

 さて私が書きたいことは、「私たちが有益に生きるためのかなめは今の自身の状況への感謝である」ということである。これを読んで、当たり前のように感じる人々、極端に聞こえる人々など様々な読み手がいると思うが、直感的、あるいは論理的に「今の状況への感謝」が大切なものであることに疑いを挟む人は少ないであろう。

 私はそのような自明の理を実生活でより確信を持って堂々と実践するための助けとして、敢えて論理的に証明したい。

ただ証明といっても結局は、「今の自身の状況への感謝が大切である」という上の考えよりも私が一般的により自明であると思う考えに論理的に帰着させる作業をするだけのことであるから、何か特別な期待を抱かれると困ってしまうので、そこは了承いただければ幸いである。

 

 さて私が「今の状況への感謝が大切である」という考えよりも、もっと自明であると感じる事柄は次の二つである。

 

・有益に生きることは今の状況を有益に活かすことである。

 

・今の状況を有益に活かせていなければ、今の状況に感謝することができない。すなわち(対偶をとれば)、今の状況に感謝できるならば、今の状況を有益に活かせている。

 

(ただし、ここにおける「有益さ」は社会的な有益さであって、特定の範囲でのみ通用する私的な「有益さ」でない。ここに注目したいのは、ある一部の人々は私的に考えて、犯罪行為なども有益であるというように主張するからである。つまり、犯罪行為などをする状況に感謝するような「私的な有益さ」についての誤解による感謝を除外したいのである。)

 

 さて大したものではないが、次のように論証できる。

 

「私たちが有益に生きるためのかなめは今の自身の状況への感謝である」ことの証明

 

【 まず、私たちが有益に生きることは、今の私たち自身の状況を有益に活かすことであることから、

「今の私たち自身の状況を有益に活かすためのかなめは今の自身の状況への感謝である」ことを示せばいい。

 これは上に提示したより自明であると感じる考え、「今の状況に感謝できるならば、今の状況を有益に活かせている。」より明らかである。

実際、今の自身の状況に感謝できるならば、今の状況を有益に活かせているということであり、今の自身の状況を有益に活かせているということは、今を有益に生きているということだからである。  】

 

 

長文を読んでいただき、感謝します。