「脳=自分自身」とみなすことの弊害
脳はを鍛えたいならば、「脳=自分自身」と考えないほうがいい
脳は大切な臓器である。脳が私たちの意識をつかさどり、日常生活を制御しているからである。脳の機能は訓練によって向上することは周知の事実である。例えば、複数の研究によって、年齢にかかわらず脳の記憶力は訓練によって向上することが知られている。脳を鍛えることは万人の義務ではないが、脳が日常生活に大きな影響を与えるために、私は個人的に多くの人にとって、意識的に脳を鍛えることが意味のあることであると思う。しかし、肉体を鍛えるときと同様に、脳を鍛えることは楽な事ではない。なぜなら、いつだって成長のためには成長を促す苦痛が欠かせないと思うからだ。現状の能力で満足に生きられるならば成長する必要はないだろう。ここで、私が書きたいのはそのような脳の成長のための苦痛を乗り越えるためのちょっとした心がけについてである。
その心がけとは「脳=自分自身」と考えないことである。(単純に自分自身がこのように脳と自分自身を同一視していた過去があったからこそ、書きたいことがあるので、そうでない人はこれ以上読む意味はないと思う。)
私が脳の訓練における苦痛を乗り越えるために「脳=自分自身」という考えをやめたほうがいいと考える理由は、そのように考えると、訓練において、頭が疲れたり、脳がだるく(?)なったときに、それによって「自分自身が」疲れたり、だるくなっていると感じやすくなり、より訓練が辛いと感じやすくなってしまうと思うからである。
例えば、筋力トレーニングをする人は良くわかると思うが、訓練をした肉体の部位に筋肉痛が起こるときは、その部位と自分自身を同一視することなく、むしろ自分自身の一部が痛くなっていると考えているのではないだろうか。逆に、その部位と自分自身を同一視してしまえば、筋肉痛には到底耐えることが難しくなるのではないか。自分は脳を鍛えるときに、そのように脳と自分自身を同一視してしまって、脳の疲れを過大評価してしまうことがよくあるのである。
もしあなたが脳を鍛えたいならば、このように、「脳=自分自身」と考えることなく、むしろ、脳という自分自身の道具を有益な生活のために鍛えると考えることが大切なのではないかと思う。
読んでくださり、ありがとうございます。