理想と苦痛は両立する
私は、私たちがそれぞれの理想通りの社会生活を送るために、理想や目標自体が社会的に有益であることも大切であるが、同時に理想のために苦痛を感じる覚悟も大切であると思う。
その理由は、一般的な傾向として、私たちの「理想」というものは楽に実現できない、すなわち、簡単でないからこそ、「理想」なのであって、それ故に、私たちの社会生活を理想的なものにしていくためには訓練が不可欠であり、そこにはしばしば苦痛が伴うからだ。
例えば、人類全体が世界平和を願ったとしても、誰もそのために労力を払おうとしないならば、いかに理想が素晴らしかろうと世界は素晴らしいものにならない。それでも、たった一人でも苦痛を恐れず、世界平和のために尽力する人がいれば、少しでもその理想に向かった変化が起こると思う。
もっと身近な話でも、ある人が他人に親切にしようと思ったところで、その「親切にする能力」を努力して、発達させようとしないならば、その理想的な行動が出来る社会生活を送れるようにならないだろう。
このように、私たちは理想を持って、有益な方向に向かう必要があるのであるが、同時に、理想的に行動する能力を苦痛を払って努力して向上させることが不可欠であると思う。
読んでくださり、ありがとう。