Daikiの哲学日記

 当たり前だけど、大切なことを見落とさないように、文章を書いています。

タスクの優先順位は心理的なハードルに基づいて決めるべきだ

一日のタスクが決まっていて、やる順番を好きに選べるならば、心理的なハードルが高いものからやるべきだと思うんです。 その理由は、まず、自分たちの最終的な目的は「タスクを達成したという結果を得ること」なので、それを楽にやろうか、苦しんでやろうか…

成功者は誰も頑張っていない

頑張ることや努力主義が推奨されている気がするけれど、自分はうまくいかない生き方だと思う。 でも、多くの成功者やアスリートは「誰よりも努力してきた」って言っているよね。 それで「それなら努力や頑張ることをとにかく意識した方がいいんじゃない?」…

死後の世界を意識しよう(自殺願望に囚われている人へ)

私は、自殺願望に囚われている人が自殺という安易な手段を考えず、有益に生きていくためには、「死後の世界に関心を持つこと」が不可欠であると思う。 その理由は、自殺願望に悩む人々の多くは、人一倍の困難に直面し、「人生は苦しいだけで、危険なものであ…

理想と苦痛は両立する

私は、私たちがそれぞれの理想通りの社会生活を送るために、理想や目標自体が社会的に有益であることも大切であるが、同時に理想のために苦痛を感じる覚悟も大切であると思う。 その理由は、一般的な傾向として、私たちの「理想」というものは楽に実現できな…

「脳=自分自身」とみなすことの弊害

脳はを鍛えたいならば、「脳=自分自身」と考えないほうがいい 脳は大切な臓器である。脳が私たちの意識をつかさどり、日常生活を制御しているからである。脳の機能は訓練によって向上することは周知の事実である。例えば、複数の研究によって、年齢にかかわ…

他人を真似せずに論理的に独立しよう

私は周りの他人を模倣することが好きである。なぜなら、他人を模倣すれば、彼らを否定していないことを最も分かりやすい形で示すことができ、無用な争いや対立を生まずに済み、一言で言えば「楽」だからだ。 しかし、他人の模倣はひと時の「快適さ」を提供し…

有益に生きたいならば、どんな極悪人に対しても非難をしてはならない

私たちの人生において、他人から理不尽な仕打ちを受けることはたびたびあり、それが私たちの有益な社会生活をより一層困難なものにしてしまうこと、その体験が絶えず私たちを苦しめているように感じることもあるが、私はその自分自身を苦しめた、あるいは苦…

試験のために勉強するのはもうやめよう

「試験のために勉強する」 このような動機は試験をパスすることが何か有益な目標につながり、その場合に学問の理解などは必要がないならば、全く問題がないと思うが、学問を理解したい人が、試験をパスすることをモチベーションとして勉強することはあまりに…

常にMaxの実力を出すことは諦めよう

「常に最高の集中力を維持すること。」 確かに、それは私たちが今日の仕事を完遂するための最前の方法である。 しかし、当たり前なことではあるが、脳は常に同等な性質を保っているわけではない。例えば、血液の循環が良い時もあれば悪い時もあるし、疲労が…

過去の苦しい努力は今や未来の「楽」のためにあるわけではない。

私は、私たちが目標を達成するために実りある努力を継続するためには、過去の苦しい努力は今や未来の「楽」のためにあるわけではないと考えることが大切であると思う。 その理由は、私たちはどれだけ努力しようと不完全な存在であり、それ故に、よりよいもの…

気分を捨てれば努力を継続出来る

規則的、継続的な日課、学習などは様々な目標を達成するために不可欠であるが、その努力の継続を助けるものとして、「気分が乗っている時はあたかも気分が乗っていない時のように、気分が乗っていない時はあたかも気分が乗っているように努力する」ことが大…

継続しやすい教科書の読み方(たとえば、数学)

継続しやすい教科書の読み方(たとえば、数学) おそらく、理解と表現が両立するべきであるという社会的要請がそのように感じさせるのであろうが、食べ物を食べてばかりいて運動することがなければ、次第に何にも味わいを感じられなくなるように、私たちが学…

今、努力できることに感謝しよう

私たちが何らかの有益な目標を持って、それを達成することを望むならば、その目標を確実に達成することを強調しすぎることなく、今、その目標を達成するために努力できることに感謝することが不可欠であると思う。 その理由は、少なくとも私は、高い目標を持…

誰かのために死のうとしている人々へ

特定の人のために生きることは、自分の人生がその人の思い通りに支配されているようで辛いものだ。そして、どんなに役立つものも他人との関わりのなかにあるから、特定の人のために生きることは自分の有益な活動範囲を大きく制限する。だからこそ、辛いだけ…

苦痛がなければ成長しない

苦痛がなければ成長しない 私は、私たちが語学力や筋力、コミュニケーション力など何らかの能力を発展させたいならば、「毎日、〇〇をやる」などのような日課やノルマを立てるのではなく、兎にも角にも「適切な訓練を苦痛を感じるまでやる」ということが肝要…

今の状況への感謝こそがあらゆる有益さのかなめ

今の状況への感謝こそがあらゆる有益さのかなめ 私がこれから書きたいことは、もしかすれば多くの人々にとっては当たり前なことかもしれないが、私が日常生活で当たり前のように実践出来ていない事柄の一つである。 ここで、その事柄を文章として出来る限り…

学問の世界で生きる勇気

学問の世界で生きる勇気 学問の世界で生きる勇気とはなんだろうか? 金銭的な困難を乗り越える勇気、熾烈な競争を勝ち抜く勇気などなど、様々な答えは人それぞれあっていいと思うのだが、私は個人的に次のような答えを持っている。 「学問の世界で生きる勇気…

あらゆる表現は感謝が伴わなければ意味がない

あらゆる表現は感謝が伴わなければ、意味を持たない。 このような考え方は多くの人に極端であるという印象を与えるだろう。感謝が伴わなかったとしても、有意味な、有益な表現や創造もあるのではないかと。しかし、同時に、様々な表現がその内容に関わらず、…

普通でなくても役に立てばいい

私は、私たちが社会的に有益に生きるために、周りの人々と同じように、周りの人々の平均をとって生きることをことさら意識して生きるべきでないと確信する。言い換えれば、周りの人と同じようにしていないことに不安を持つべきでないと思う。 その理由は、役…

途中で満足するぐらいなら、目標なんて持たない方がいい

途中で満足するぐらいなら、目標なんて持たない方がいい 私は、私たちが様々な目標を持って、それを達成するために努力していることと思うが、もし私たちがその目標を達成してもいないのに現状に満足感を持ってしまえば、決してその目標は達成されないと確信…

「楽しさ」だけを求めていては学問を究めることはできない。

私は今、大学の数学科の一年生で数学を学ぶ喜びや楽しさを心底実感しているとともに、周りを見渡していても、学問を学ぶ喜び、楽しさが強調され、その喜びさえあれば、学問を極めることがあたかも容易であるかのように語られているように感じますが、本当に…

プラスな状態にプラスをするのではなく、マイナスな状態にプラスをする大切さ

私は、私たちが何らかの目標を達成したり、何らかの能力を訓練し、成長するためには、まず、現状が「プラスな状態」ではなく、「マイナスな状態」と考える必要があると思う。具体的には「今の状態でも良いが、欲を言えばもっと頑張りたい」という考えではな…

「無知力」を衰えさせていこう

学者にとっての無知力 私は、私たちが何かを学び、習得し、創造することを志すならば、「無知力」を衰えさせていくことが大切であると思う。「無知力」とは何か。ここで言う「無知力」とは、「知らない事柄に直面した時に、知らないままでいられる能力」のこ…

好きこそ物の上手なれ

私は、私たちがある学問や特定の技術を身につけようと努力しているならば、その努力の理由を「他者より得意だから。」というものにするべきでなく、「好きだから。」というものにするべきであると思う。つまり、突然に小さな子供が「何のためにそれをしてる…

「誰に対してもうまく付き合うための一定の方法」は存在しない

「誰に対してもうまく付き合うための一定の方法」は存在しない 私は、私たちが他者と友好的な協同関係を築くために、誰に対しても無差別に、画一的に接することが役立つわけではないと思う。 その理由は、容易に、直観的に理解されうることであると思うが、…

社会的な尺度に照らして、自分自身を評価しよう

社会的な尺度で自分自身を評価しよう 常に有益に、ポジティブに生きる為にはどのようなことを心がければいいか? このような問いは非常に古い歴史を持ち、しばしば強調されすぎたり、無視されてきたりしただろうが、人間が完全に唯物的ではなく、精神的な生…

常識に染まれば染まるほど、自由になれる

常識に染まれば染まるほど、自由になれる 私は私たちが有益な社会生活を送るために、自分自身の創造的なアイデアを実現させることや見知らぬ他者に友好的にアプローチし、有益な協同関係を構築させることなどに出来るだけ躊躇いを持たないことが非常に大切で…

精神の老いについて

精神の老いについて 私たちが有益な社会生活を送るために、時とともに肉体が老いていこうとも精神を若々しく保つことが非常に重要であるということは明白であると思うが、私は私たちが精神の老いを防ぐためには、「無知の知」を理解すること、すなわち、自分…

油断とあきらめの正体

油断とあきらめの正体 私は、私たちが充実感を持って建設的に生きることを目指すとき、楽天的な盲信である「油断」と悲観的な絶望である「あきらめ」が常に悪であるということは非常にありふれた事実であると思うが、私たちはそれら二つを不意に憑りついてく…

他者の不幸を素通りできることは強さではない

他者の不幸を素通りできることは強さではない 私はしばしば、他者の不幸を見て素通りできることを有益な強さであると理解している人々がいるように感じるが、私たちがよりよい人生を送るためには「本当の有益な強さとは他者の不幸を素通りできないこと」であ…